Y.P.D 設立秘話・・・・・ 
 
第1章 出会い編 (続編の予定は現在有りません)



・・・・・・・あれは何時だったろう?
時代はマイクロソフト社のWindows95がやっと認知され始めた頃である。
まだインテル社のP55C(MMXペンティアム)が出荷を始めたばかりの頃である。
世間から「PCオタク」と思われていたY氏の所に突然のTELである。
知人で本業が牛飼いのS氏からである。このころ既にY氏は2匹目の牛を調教中であった。
(注釈:牛とはGateway2000社のDOS/Vパソコンのことである。)
当時はまだ、N社のパソコンがPCであり、他社のものはPCとは認知されていなかった時代である。
S氏の友人2人(獣医さん&同じ本当の牛飼い)がDOS/Vパソコンを買いたいのだが・・・云々
Gateway2000も視野に入っているという・・・云々
「それなら、みんなでPC見物がてら遊びにおいでよ」と話がまとまる。
ここで、現会長T氏とI氏に出会う。この2人は全く「悪い」である。
人がペンプロなるCPUはNT用で95では価格に見合う力を発揮しないことや
フルタワーは巨大すぎるなど、懇切丁寧に説明したにも関わらず・・・とんでもない猛牛を購入する!
それ以来、T氏・I氏の2人はY氏宅へ入り浸る事となる。
T氏は「JMR」なる牛の繁殖計画のシステムを開発した、獣医にしておくのはもったいない人であるが、
週末には太平洋上を風任せで漂っている遊び人でもある。
一方、I氏は本業も牛飼いであるのだがDOSの頃からPCを始め現在もPC−98で農業簿記をこなす。
風貌に似合わず、まめに全国の女性とチャットを楽しんでおり、デジカメにも凝ったりする?!
Y氏を「兄貴〜」と呼ぶが二人ともその気は無いので誤解しないように(爆)

昔、Y氏は職場の同僚からPCの相談を受けた事がある。
同僚の友人が家業の経理に使いたいらしい話だったと思う・・・・たしか?。
Y氏は全く生返事でwindows95ならN社のキャンビーでしょう!
キャンビーはPC界のカローラだもの(意味不明?)といったらしい・・・・。
写真屋K氏は迷わずキャンビーを購入!486でDX4のRAM8MBでWin3.1の最新型の物である。
K氏は以後、円形脱毛症と闘いながらMSワークスの説明書を読みまくる事となる。
請求書のフォーマットを決め印刷屋に用紙を発注するも・・・・・・・・・ドットインパクトのプリンターが無い!
試行錯誤のさなか、当のY氏と出くわす。楽しみは2倍に、悲しみは半分にである。
K氏の円形脱毛症はY氏宅に出入りするうちに完治したのは言うまでもない。

Y氏、勤務中にいきなり、総務課長に呼びつけられる。・・・・・・まずい!あれか?それともあっちか?
思いは走馬燈の様に巡る。 ・・・・・・・何と、そこでM氏を紹介される? げっ!?
M氏の会社でPCを導入するも調子がいまいちで・・・・・云々。
趣味の写真用スキャナーを付けたが認識しない・・・・云々。
で、何人かに見てもらったがお手上げ状態だという話である。「オタク」の噂を聞いて来たらしい・・・恐ろしい(爆)
アフター5にならと話が決まる。それから何度か会社訪問し部品交換して無事解決!
PCは何を使っているかと聞くので「牛」と説明、すぐにM氏が最新の牛をオーダーしたのは言うまでもない。
何と!自宅も牛となり、2匹も所有する!立派な牛飼いである。

H氏は校長になって帰ってきた!?
H氏とはPC以前からのつき合いである。転勤族で全道を渡り歩く仕事人である。
何と今度は校長先生となって帰ってきたのである。少し、近寄りがたくは・・・全く、そんなそぶりは相変わらず無し?
H氏は別な業界の全国理事の要職にあり自他共に認める「アキバ通」である。
毎月、アキバを徘徊して出物があればHOTラインでY氏に連絡を入れる。
特に中古の格安PCはY氏も大変お世話になっているところである。(中古メモリーにPCが付いてくる?)
もちろん生徒へのPC活用による教育は文部省の指定校になるなどやる気満々のH氏である。
Y氏も同校の先生方対象のPC教室を道教委の依頼を受けて行ったりしています。

E氏もすごい人である。事務所の2F(3F?)を、色々な団体・サークルに開放している。
町おこしの勉強会でも、パソコンの話題は必ず登場する時代である。
社交ダンスの仲間内でもパソコンの話題が出るという。
それほど、パソコン・インターネットへの関心は高いが、実際は難しい・・・・・・・・・
Y氏ここで登場である。もっとも得意とする「WINDOWSの基礎」なる講習を事務所2F(3F?)で開催する。
PCを寄せ集めるのに苦労しましたが その後、E氏の仲間内でPC熱が吹きまくった事は言うまでもない。

Y氏の会社の同僚S氏はちょいと肥満気味!それでも、腕と口は確かである。
突然、仕事でPCが入るから教えろ!と、S氏いつもの命令口調!?
なんで、Y氏がS氏に勤務中に教えなきゃならないの? Y氏にだって一応仕事は有るでしょうが?!
これも、アフター5ならと話はまとまる。・・・・・・殺し文句「PC1台買いなさい!」である。
格安のXb10の中古を購入する・・・・・・・見事に填って牛飼いへの道を歩み始める。
それでも、飽きたらずDOS/Vの王道、ハードマニアに・・・・・(めでたし、めでたし)

酪農家のN氏もT氏・I氏の仲間である。早くから農業簿記の電算化を実践している。
N氏はロータスの達人である!Y氏のキーマクロを邪道と笑い飛ばす!
最近はT氏の開発した「JMR」なる牛の繁殖計画や農業簿記の普及のため、まず底辺づくりをと
同業者を集めて夜な夜なPC教室も開催している。
先駆者のI&N氏を無視したJAのエクセル攻撃に戸惑いを隠せないN氏である。

紅一点のIサンは以前私の会社にバイトさんで来ていました。
別会社にトラバーユするもIサンを待っていた?のはLotus123でした。
会社の経理資料はロータスで作り、本社へMOで毎月提出する!!それって・・・・イジメ?!
PCに初めて触るIサン・・・・・・・人づてにY氏にロータスを聞くことに
お決まりの、Y氏の言葉(爆)・・・・「アフター5ならOK!」
で、めでたく?自宅に1台PC導入の運びに・・・・初号機はV12だったけな?
仕事そっちのけでインターネットにはまる。どツボ状態に・・・・・・・Y氏は無実です。
八雲で開催された「おがれ27」主催(講師:Y氏)の「ホームページ作成教室」で開眼!
TTD関連のHPで、メジャーデビューをはかる。
IサンのWebでの活躍は本社の目にもとまり、何と!出世までしてしまいました!(オメデトー)
勿論、ロータス使いの腕を上げたことは言うまでもありません。

当のY氏である。けっして「オタク」ではない。Y氏は身近に居る本家本物の「オタク」を知っている(爆)
Y氏は組長である?Y氏を囲む仲間がいつしか「Yだ組」と称してY氏が組長となってしまった。
作ったDOS/Vパソコンは、50台は確実に越えている。ソケット7のペンテ166から自作に手を染め
最近では雷鳥+RAIDでベンチマークテストに参戦する。 全くの新しい物好きである。
PC雑誌より先に新製品を秋葉原から直送で入手する。黒猫・ペリカンはお友達と豪語する。
でも、Y氏は知っている・・・・・・・
本当のPC使いは「SOFT」である。縦横無尽にSOFTを使いこなす、醍醐味こそPC王道であることを!
ハードマニアは邪道である・・・・・・・が、身の回りに一人はいてほしい・・・・・・それがY氏なのである。

そんな99年夏、こんなY氏を取り巻くPC仲間が閃いた!パソコンは文化である・・・・と!?
町の文化祭に出展しよう!・・・・・・・・できるかな?
行動は始まった・・・・紆余曲折・・・・・あんなこんな・・・・・あちらこちらへ・・・・・
それでも、NTT東日本の八雲営業所のバックアップや適切なアドバイスを各位からいただき、
八雲PC同好会の初イベントは何とか当日を迎えた。 秘密兵器は、「AIBO」である。
これが大ヒットとなり、文化祭当日には町内外から多くの見学者を集め、マスコミにも大きく取り上げられる。
大成功である!PC8台+1匹はフル稼働で休む暇のない2日間となる。
DTM&MIDI・GAME&FS・インターネットは33.6KとISDN64Kとの比較、DOS/Vの世界や
PCよろず相談の各コーナーは、多くの人が訪ねてきてくれました。想像を超える出来事でした。

2000年、T会長以下 I・K・M・H・E・S・N・Y氏そしてIサンの総勢10名仲間の挑戦は続きます。
(なぜ?たった10名なの?・・・・・・・・って、最近よく言われます。逆に何故(爆)
会員は八雲町民・全道・ALL JAPAN・地球人の全てです。誰でも仲間です。
便宜上、意志決定機関を、10名で構成したのに過ぎません。 誤解なきように。)
「我々が悩んだつまらない事には悩んでほしくない」  ノウハウの提供は惜しみません!
だって、我々は体育会系じゃないもの(爆)
我々を踏み越えて、先を目指してほしい! そしてみんなにフィードバックしてほしい!
そんな思いで、「出前パソコン教室」なる事業を展開する事になりました。

                                                     「終」